転勤辞令が出た夜、夫婦のキャリア観が初めてぶつかる
転勤辞令が来たとき、「家族全員でついていくか、単身赴任か」の答えが夫婦で揃わないケースは多い。ソニー生命の調査では47%が「難しい」と回答。答えがずれる構造的な理由と、辞令が来る前にできることを整理する。
2026-07-22
「もし転勤になったら、どうする?」
この問いを、ふたりが付き合っていた頃に真剣に話し合ったカップルはあまり多くない。なんとなく「そうなったら考えよう」のまま時間が過ぎ、子どもが生まれ、それぞれのキャリアが具体的な形を持ち始めた頃に、辞令は来る。
辞令が出た夜に気づくことがある。「この問いに、ふたりの答えはまだ揃っていなかった」ということに。
転勤をきっかけに、4割以上が退職を検討する
エン株式会社が35歳以上の中途採用ユーザー2,018人を対象に実施した調査(2025年1月発表)によると、転勤をきっかけに退職を考えたことがあると答えた人は40%以上にのぼる。単身赴任の長期化、子どもの受験、配偶者のキャリア——さまざまな事情が絡みながら、転勤という出来事が転職・退職の引き金になっている実態がある。
若い世代にも同じ傾向は見えている。就職活動中の学生を対象にした調査では、「転勤のある会社では働きたくない」と答えた割合が、2014年卒の18.7%から2024年卒の29.6%へと、10年で10ポイント以上増加している(学情、2024年7月調査)。終身雇用と会社への帰属を前提としたかつての働き方から、個人のキャリアを中心に据えた働き方へと、感覚が確実に変わっている。
しかしその変化が進んでいる一方で、「もし転勤になったらどうするか」を夫婦で具体的に話し合えているカップルは、多くない。子育て中に転勤の話題を持ち出すのは「縁起でもない」という感覚があるのか、あるいは「そうなったらなったで考えればいい」という先延ばしが働くのか。どちらにしても、答えが出ていない問いは、辞令という形でいずれ返ってくる。
47%が「難しい」と答えた背景
ソニー生命が2025年に実施した「20代・30代共働き夫婦の生活意識調査」では、配偶者に転勤辞令が出た場合の対応を聞いている。結果は「単身赴任を選ぶ」が25.9%、「家族全員でついていく」が27.1%、そして「どちらとも言えない」が47.0%だった。
この47%という数字は、「わからない」ではなく「状況によって変わる」という判断保留に近い。子どもの年齢、赴任先の地域、期間の見通し、住宅ローンの有無、実家との距離——これらが揃って初めて判断できる問いであり、抽象的に問われても即答できないのは自然なことだ。
問題はそこではない。「状況次第」という言葉の中に、夫婦それぞれが違う「判断基準」を持っていることが多い、という点にある。同じ「状況次第」でも、そのとき何を優先するかの軸が揃っていないと、実際に辞令が来たときに初めて、ふたりの考え方の違いが表面に出る。
夫が「とりあえず転勤先で探してみれば仕事は見つかる」と言い、妻が「今の職場に戻る前提で育休を取ったのに」と感じる。この会話のすれ違いは、どちらが間違っているのではない。「仕事とは、いつでも乗り換えられるもの」という感覚と、「今ここにいる理由がある」という感覚の差が、同じ「状況次第」という言葉に異なる意味を乗せている。
このテーマ、夫婦で話せていますか? 「ふたりごとに」では「親のキャリアと家族」をテーマにした対話カードを提供しています。
「誰のキャリアが家族の軸か」という暗黙の前提のズレ
転勤辞令への対応で夫婦の答えがずれる理由を「価値観の違い」で説明することは多いが、もう少し踏み込むと、「誰のキャリアを家族の主軸とするか」という前提が、夫婦間で言語化されていないことが根にある。
夫が「転勤になったら単身赴任」と即答できるとき、その背後には「妻はその間、子育ての中心を担えるだろう」という想定がある。妻がその答えに違和感を持つとき、その背後には「私にも今積み上げているキャリアがある」という実感がある。
どちらが正しいのではない。問題は、その前提を互いに確認しないまま時間が過ぎてきたことだ。
マイナビ転職が2025年に実施した「育児離職と育休の男女差実態調査」では、育児中の女性のうち約9割が「正社員としてキャリアを継続したい」と答えている。しかし「妻に正社員としてキャリアを続けてほしい」と回答した男性は約7割にとどまり、夫婦間で20ポイント近いギャップが存在する。
このギャップは悪意から来るものではない。夫の多くは「妻には選択の自由がある」と思っている。しかしその「選択の自由」が、積極的な支持とは異なる文脈で語られていることがある。妻の感覚では、「許可」はされているが「前提」にはなっていない——そういう差として現れることがある。転勤辞令は、その差を一気に可視化させる出来事になりやすい。
数字に表れる男女差——女性の方が単身赴任を望む
前述のソニー生命の調査では、「単身赴任を選ぶ」と答えた割合に男女差がある。男性22%に対して、女性は30%が単身赴任を選ぶと回答している。
この差は一見不思議に見える。転勤する側(多くの場合は夫)の配偶者(妻)が、家族同行よりも単身赴任を希望する割合が高い。
背景のひとつは、女性が今持つキャリアを手放せない状況が増えているということだ。育休後の復職、時短勤務からの移行、昇進の機会——これらを積み重ねている段階で「家族でついていく」を選べば、その積み上げをリセットすることを意味する。
男性は「単身赴任でも週末には帰れる」と考えやすい。女性は「単身赴任になれば、子育ての全部を自分が担うことになる」という計算が先に来る。同じ状況でも、「見えているコスト」が夫婦で大きく違うのだ。
男性の育休が増えた時代の、新しい問い
2024年度、男性の育児休業取得率は40.5%に達した(厚生労働省「雇用均等基本調査」)。2023年度の30.1%から10ポイント以上の上昇で、2020年度の12.65%と比べると3倍以上になっている。
育休を経験した男性が増えることは、「自分のキャリアを一時的に止める選択ができる」という感覚の広がりを意味する。転勤とキャリアの問いも、同じ文脈で変わりつつある。「どちらが家族の軸になるか」という固定された前提ではなく、「その時々でどちらが動けるか、ふたりで決める」という発想へ少しずつ移行している。
ただし、頭で理解していることと、実際に辞令が来たときの判断は別だ。育休を取った経験があっても、転勤辞令という状況に置かれれば、「自分のキャリアを軸に動く」という選択に自然と傾きやすい。それを事前に対話なしに乗り越えることは難しい。
辞令が来る前に話せること
転勤辞令が来てから話し合うと、「答えを出さなければならない」というプレッシャーの中で会話が進む。その状態では、本音や前提の確認よりも、現実的な選択肢を絞り込む方向に話が流れやすい。
辞令が来る前に、「もし転勤になったらどうする?」をふたりで話してみることに意味がある。それを抽象的にではなく、具体的な状況設定で——赴任先が国内なら?海外なら?期間が1年なら?3年なら?子どもが就学前なら?小学生なら?——という形で問いを動かしてみると、互いの判断基準の輪郭が見えてくる。
特に確認したいのは、「どちらのキャリアを、どの程度のコストを払ってでも続けるか」という問いだ。「続けたい」と「続けることを前提にしている」は違う。妻が「仕事は続けたい」と言い、夫が「うん、続ければいいと思う」と言っていても、転勤辞令という場面では「続けることは当然の前提」ではなく「状況次第の選択肢」として扱われることがある。この温度差が、辞令の夜の最初のすれ違いになる。
答えを出すことが目的ではない。「ふたりの間にどんな前提があるか」を言葉にする機会を持つことが重要だ。「自分はこう考えていた」という発見が、辞令が来たときの驚きを小さくする。
ふたりのキャリアがどちらも実在していて、どちらも大切にされるべきという前提を、辞令が来る前に持っておく。それが、転勤の夜を覚悟のある会話にするための出発点になる。
転勤辞令が夫婦のキャリア観を試すのは、「どちらのキャリアが主軸か」という問いを突きつけるからだ。その答えを辞令の前から持っているカップルは多くない。しかし、持っていなかったことに気づいた瞬間こそが、ふたりで話し始める最初のチャンスになる。