どちらの実家に帰省するかで夫婦がもめるのは、それぞれの「当然」が違うからだ
3人に1人が義実家への帰省を「気が重い」と感じている。優先順位を話し合っているつもりが、実は「帰省とはこういうもの」という互いの前提がぶつかっている。
2026-07-24

「今年の年末はどちらの実家に帰る?」——この話になると、夫婦の間に妙な空気が流れる家庭は多い。決め方が毎回同じになっていることへの不満、言い出しにくい疲れ、「また今年もこの話か」という感覚。子どもが生まれてから、実家への帰省は以前より複雑になった。
帰省先の優先順位を話し合っているつもりが、実際はもっと手前のことがぶつかっていることが多い。ふたりが「帰省とはどういうものか」についての前提を全く違う形で持っているのに、その前提に気づかないまま話し合いをしている。
義実家への帰省、3人に1人が「気が重い」
帰省をめぐる感情的な温度差は、統計にも現れている。
ベビーカレンダーが年末年始の帰省について実施した意識調査では、3人に1人が義実家への帰省を「気が重い」と感じていると回答している。一方で、夫婦がそれぞれ自分の実家にだけ帰る「セパレート帰省」の経験者は6割にのぼり、これに前向きな回答も6割を超えている。
「気が重い」という感覚は、相手の実家への悪感情とは限らない。気を遣う、自分のペースで過ごせない、子どもに気を遣わせてしまう、移動が大変——こうした複合的なしんどさとして経験されていることが多い。
ただ、この「気が重い」を直接口に出すことは難しい。「うちの親のことが嫌いなの?」と受け取られるかもしれない、子どもに祖父母と会わせる機会を奪いたくない、そもそも波風を立てたくない——そういう事情が重なって、結局は毎年うやむやのまま決まる、あるいは毎年同じようにもめる、という形になりやすい。
「当然」の非対称さ
帰省の話がかみ合わない根本には、「実家に帰るとはどういうことか」の感覚の差がある。
自分の実家に帰るとき、その感覚は「当然帰りたい場所に帰る」だ。そこは自分が育った場所で、親への愛着がある。帰ることへの心理的な負荷はほとんどない。
ところが相手の実家に帰るとき、その感覚は全く違う。「義実家」という感覚が残る限り、そこはある種のゲストとして振る舞う場所だ。気を遣う、自分らしくいられない、子どもへの関わり方に口出しされる——こういった緊張を伴いやすい。
つまり「自分の実家」と「相手の実家」は、同じ「帰省」という言葉で括られていても、体験の質が全く違う。それを同じ重さで交互にこなすことを「公平」と呼ぶのは、感覚的には無理がある。
だが、この非対称さを言葉にして伝えるのは難しい。「義実家が嫌い」と言っているのではなく「体験の質が違う」という話だが、受け取る側にはそのまま「うちの家が嫌いなんだ」と聞こえやすい。
このテーマ、夫婦で話せていますか? 「ふたりごとに」では「帰省のやり方、ふたりで決める」をテーマにした対話カードを提供しています。
「公平にする」が必ずしも正解ではない

「交互にする」「同じ日数にする」という「公平な帰省」の解決策は、一見筋が通っているように見える。ただ、体験の非対称さが残ったまま日数だけ揃えても、消耗する側の感覚は変わらない。
「うちの実家は泊まれないから移動だけになる」「向こうの実家は家が広いから子どもが喜ぶ」「どちらかの親が高齢で会いに行く頻度を増やしたい」——こういった条件はそれぞれに異なり、「公平」の基準を何に置くかで答えが変わる。
むしろ現実的なのは、「ふたりが無理なく続けられる形」を探ることだ。年に一度ずつでも義実家への帰省が「しんどいもの」として積み重なると、ふたりの関係にも影響する。相手の実家への帰省を、義務や交換条件ではなく、「行けたら行く」という選択肢として持てると、持続性が変わる。
子どもが生まれてから変わること
子どもが生まれると、帰省の複雑さが増す。
祖父母にとって孫は特別な存在で、「会わせてほしい」という気持ちが強くなる。その期待が大きいほど、帰省の頻度への圧力を感じやすい。どちらの親から「もっと連れてきて」と言われるかは家庭によって違うが、どちらかの実家が近く、もう一方が遠い場合、自然と近い方との交流が増えて不均衡が生まれやすい。
子どもの視点から見ると、両方の祖父母と関係を持つ機会があることには意味がある。ただ、「子どもが喜ぶから」という理由だけで帰省を続けることには無理が出ることもある。どちらかが毎回消耗しながら連れて行っている帰省を、子どもが純粋に楽しめるかは、また別の話だ。
話し合いの入り口を変える
帰省の「どうするか」を話し合う前に、「それぞれにとってどういう体験か」を共有することが、かみ合わない話し合いを変える入り口になる。
「自分の実家に帰るのはどんな気持ちか」「相手の実家に帰るとき、どういうことが負担か」——これを責めでなく情報として出し合うことで、相手の「当然」が自分の「当然」とは全く違うという認識が生まれる。
そこから「ではどういう形が続けやすいか」を話すと、解決策の話が現実的になる。毎年決まった形にこだわらない、負担の大きい方が一回スキップする年があってもいい、子どもだけ片方の実家に連れて行くことを試してみる——選択肢は「交互に同じ日数」だけではない。
帰省先をめぐる話し合いは、どちらの親を大切にするかの話ではない。ふたりそれぞれが、無理なく続けられる家族のあり方を探る話だ。